「枠」を超え複合施設型経営改革
老舗旅館から地域創生の拠点へ

異分子と呼ばれた

私は経営者になるための特別な教育を受けたことはありません。それどころか、旅館を継ぐ気など全くなかった。そもそも20代前半までは世間知らずな"放蕩（ほうとう）息子"でした。

創業者である祖父からも2代目の父からも、子どもの頃から一度も和多屋別荘を継ぐように言われませんでした。そもそもこの旅館は、自分にとって存在しているのが当たり前で、「自分が継がなければ、守らなければ」という感覚自体がなかったのです。

高校卒業後は、なんとなく東京の大学に進学。将来なりたいものもなく、これを学びたいという目的もなかった。すぐにつまらなくなり中退してしまいました。

とはいえ、嬉野には戻りたくない。そんな状況を見かねた父が、福岡・博多の営業所内に「インターネット事業部」をつくり社員として所属、社員寮だったマンションを改装して住んでいました。和多屋別荘のホームページを作りながら、そのマンションで暮らすことになったのです。21歳で3LDKのマンションに家賃ゼロで住み、30万円の月給をもらう。今思えばかなり恵まれた環境なのに、当時は「こんな安月給でどうやって生活すればいいのか」と文句ばかり言っていました。

その頃、和多屋別荘の経営状態は火の車でした。バブル崩壊後の債務超過が解消できず、苦しみながらなんとか経営を続けてきたものの、限界を迎えます。インターネット事業部ができてわずか2年後、事務所兼住居だったマンションは売却され、約200人いた従業員の4分の1にあたる50人を解雇しなければならないほど切迫していました。

そんな状況でも、私の危機感はゼロでした。それどころか、マンションを売却されたことに腹を立て、父のもとを訪れ「財産分与として和多屋別荘の一部をよこせ」と言い放つ始末です。分社化してそこを経営する社長にしてくれるなら和多屋別荘に戻ってきてやってもいい、と要求するぐらいズレていました。

当時、経営の建て直しに雇われた旅館再生コンサルタントは、父にこう切り出しました。

「この異分子を切るか、会社を取るのか、今決めてください」

もちろん異分子とは私のことです。私は思いました。この人は何を言っているのか。父は息子を選ぶに決まっている。しかし私の失笑をよそに、1週間後、私が和多屋別荘を追い出されることになった。まさに青天のへきれきでした。怒り心頭で「もう二度とここには戻らない！」と嬉野を飛び出し、福岡に住む実母のもとへ身を寄せました。

なけなしの貯金でインターネット事業の会社を立ち上げたものの、知識もスキルも営業力もないのにうまくいくはずがありません。あっという間に生活は行き詰まりました。ポケットの小銭が全財産、という日もあるほどの困窮した日々が始まりました。

修業先で改心、旅館再生コンサルティング会社立ち上げ

起業して3年ほどたった頃、私の苦境を見かねた母が、一度父と会うよう言ってきました。父に会うと、助けてくれるどころか、以前私を「異分子」呼ばわりしたコンサルタントの下で修業しろと突き返された。頭にきてすぐに席を立ち帰りましたが、その夜、一番の理解者だった姉から「それは良い考えだと思う」と諭され、はたと思いました。「もしかしたら自分は今、人生を踏み外しかけた状況なのではないか」と。

考えを改め、旅館再生コンサルタントのもとに出向くと決めました。ですが、さすがに自分を異分子扱いしたコンサルタントの会社で働くのには抵抗がある。ひとまず、父親の顔を立てられればとの思いで向かいました。

しかし、旅館再生コンサルティング会社に行き、一気に目が覚めます。社員数人の小さな会社にもかかわらず、全員が経営に苦しむ旅館を立て直そうと全力で取り組む姿を目の当たりにしたのです。この頑張りに対し、ようやくお金をいただけるのだと気づかされた。それまでの自分の甘さを痛感させられました。

そこから1年間、無給で旅館再生コンサルティング会社での修業に励みました。昼夜関係なく365日、夢中になって働きました。ノウハウを身に付け、徐々に頑張りを認めてもらえるようになった。私を異分子と呼んだコンサルタントとも、少しだけ仕事をさせてもらうようになりました。

和多屋別荘の社長に就くまではコンサルタントとして活動。その経験が現在の経営に生きる

1年後、私は独立し、旅館再生コンサルティング会社を起業しました。そこから約10年間、培った経験とスキルを生かし、70軒ほどの旅館の再生を手がけました。

そんなある日、知人を介して「和多屋別荘の経営が危ない」という話が伝わってきました。13年のことです。そのとき初めて和多屋別荘が二度目の経営不振に陥ったのを知りました。

私が追い出された後、一時的に経営を立て直せたものの、リーマン・ショックや東日本大震災の影響で客足が遠のき、億単位の借金を抱えてしまったのです。私はこの危機的状況を自ら救うべく実家に戻ると決意、3代目社長に就任しました。

泊まる旅館から通う旅館へ

社長として最初に行ったのは、とにかく未払金を返すことでした。幸い本業の宿泊業では利益が出ていたので、銀行に協力してもらい、その利益を全額返済に充て、地道に借金を減らしていきました。数年後、未払金返済のメドがついたところで考えたのは、和多屋別荘という資産の有効活用でした。

和多屋別荘は広大な土地を持ち、嬉野の中では最大規模の旅館です。この資産を1泊2食だけの施設にとどめておくのは、あまりにもったいない。

館内のコンセプトショップには、世界的パティシエ、ピエール・エルメ氏とコラボしたうれしの茶が並ぶ

最初に注目したのは「うれしの茶」です。嬉野はお茶の栽培に適した土地で、古くからお茶農家が多くいました。そこで、うれしの茶の魅力を広く知ってもらうために「ティーツーリズム」という、茶畑の中でお茶農家が入れた至宝の1杯を楽しんでもらう企画を有志メンバーとともに考えました。おかげさまでこの企画は好評となり、全国から数多くのお客さまに参加してもらいました。ティーツーリズムは現在も人気コンテンツの一つです。

このほかにも、「きたの茶園」のうれしの茶と、嬉野の酒蔵の一つである「瀬頭酒造」とのコラボレーションによるうれしの茶と日本酒のペアリングディナーや、お茶農家「副島園」によるお茶のバーなど、多様なアプローチでうれしの茶の魅力を伝え続けています。

コンセプトショップ「Made in ピエール・エルメ 和多屋別荘」や日本香堂が手掛けるフレグランスブランド「Yohaku」などのショップも旅館内にオープンしました。いずれも嬉野という土地に魅力を感じてもらった結果、出店が決定したものです。

直近ではカフェ「Made in ピエール・エルメ和多屋別荘」がオープンしました。日本で唯一となる旅館内のピエール・エルメのカフェで、うれしの茶を楽しむアフタヌーンティーや、嬉野玄米茶を使ったソフトクリームを提供しています。いずれの取り組みも、旅館を「泊まる場所から通う場所へ」と変えたいとの思いが実ったものといえます。

旅館を複合施設に変革

20年から、客室を活用したサテライトオフィス事業をスタートしました。もともとは、地域創生やブランディング事業を手掛けるイノベーションパートナーズの本田晋一郎社長と話したときに、「旅館をオフィスにする」アイデアが挙がり、事業化を決定しました。現在は、イノベーションパートナーズをはじめ、東京に本社を構える会社など合計11社が入居しています。

日本語学校の教室には、使われなくなった宴会場を活用した

25年春に満を持してスタートしたのが、日本語学校です。東京・池袋で60年以上の歴史を持つ日本語学校・ICA国際会話学院と提携し、旧宴会場を改装して和多屋別荘内に「ICA国際会話学院 嬉野校」を開校しました。旅館内に文部科学省認可の語学学校ができるのは、過去に例がないと思います。

嬉野市の人口はこの20年間、徐々に減少しています。2024年4月時点の人口は約2万4500人で、そのうち20～24歳の若者はおよそ940人です。日本語学校ができれば、外国の若者が年間50人流入するとして、2年後には100人が嬉野に住まう計算になります。嬉野市の20～24歳の人口比率が高まり、卒業後もそのまま地域にとどまってくれれば、労働力不足の課題も軽減できます。

彼らの多くはアジアの工科大学を卒業したIT人材であり、在学中は学業の合間にサテライトオフィスに入居するIT系企業で働いたり、嬉野のアグリテックに携わってもらったりするのを期待しています。嬉野温泉の旅館のDX化をけん引してもらうアイデアもあります。

地域OSを最大限生かす

私は旅館業が大好きでメイン事業だと捉えていますが、限定しなくて良いと思います。今後は敷地内の旅館売上は半分程度に抑え、嬉野市に興味を持ってくれた企業とコラボレーションしながら、ここを拠点に新たな経済価値を生み出すことに力を注ぎたいと思います。

現在、和多屋別荘では100人（アルバイト含む）の従業員が働いています。その表情を見ると、以前より笑顔が増えたと感じます。二度の大きな経営危機があり、従業員には苦労を掛け続けてきました。正当な報酬も出せるようになり、今はやりがいと経済的価値の両方を感じてもらえているのではないかと思います。

とはいえ、和多屋別荘だけが元気なのも駄目です。この流れを地域全体に広げ、さらなる経済価値を生み出す取り組みを行い、嬉野市全体を盛り上げる。それが挑みたい課題の一つです。例えば、現在展開しているサテライトオフィスには、30企業ほどが入れるキャパシティーがあります。この地域にないリソースを持つ企業を誘致することで、嬉野市の価値をさらに高められるのではないかと考えています。

そもそも、嬉野市には開湯1300年の温泉、500年続くうれしの茶、400年の歴史を持つ肥前吉田焼という文化的資源が根づいています。こうした歴史的基盤は、土地にインストールされた"地域OS"とも言える強みです。私の事業アイデアは、この地域OSの活用をベースにしています。今後も、これらを最大限生かせる施策を考え、実現していきたいです。

自社の資産価値を改めて認識してほしい

昨今のインバウンドに湧く旅館がある一方で、経営不振に悩み、苦しむ旅館は決して少なくありません。資金がなく、リノベーションもできず、老朽化した建物を抱えて途方に暮れる経営者も多いと推察します。特に2代目、3代目として経営を引き継いだ人は、創業者や先代の意見に縛られ、苦悩しているのではないでしょうか。

ただ、経営者の皆さんにはぜひ、「先行投資がすでに終わっている資産（＝旅館）が手元にある」事実を、改めて前向きに認識してほしいと思います。

私が社長に就任した13年当時、和多屋別荘はすでに「63年もの」の年季の入った旅館でした。リノベーションの資金どころか莫大な借金しかなく、気持ちは完全に悲劇の主人公です。こんなに老朽化した、雨漏りする旅館では何もできないと言い訳ばかり並べていました。

ですが、ふと和多屋別荘の資産価値を客観的に考えてみたのです。長崎自動車道の嬉野インターチェンジから車でわずか数分のところに、2万坪もの広大な土地がある。そんな恵まれた場所なんて、日本全国探してもそうはありません。旅館として充実した設備があり、敷地内には古くからある松の木があり、池にはニシキゴイが優雅に泳ぎ、嬉野川を挟むように建物が立つ。こんな物件を購入しようと思ったら、莫大な資金が必要です。

この事実に気づいたときに考え方が180度変わりました。今の自分は悲劇の主人公どころか、サクセスストーリーの主役なのではないか、と思えるようになったのです。

今の自社の資産を客観的に見て、その価値をポジティブに捉えられたら、すべての景色が一気に変わる可能性があります。「できない」「やれない」という否定的な考えがなくなり、「できる」「やりたい」がどんどん湧き出てくるようになるのではないでしょうか。

旅館に限らず、一般的な会社の場合も同じです。行き詰まったときは、意識的に視点を変え、前向きに自社を見つめ直す。そんな機会を持ってみるとよいと思います。