希代の名軍師・黒田官兵衛を訪ねて
姫路[ 兵庫県 ]
- 黒田官兵衛
- 姫路城
- 播磨国総社
- 廣峯神社
織田信長、豊臣秀吉、徳川家康といった戦国三英傑に仕えた
黒田官兵衛は、播磨国の姫路で生まれ育った。
軍師としての才能を発揮し、秀吉の時代には天下統一にも貢献した。
筑前国の大名にまで上り詰めた軍師・官兵衛の姫路での足跡を追う。
天下人の下で知力を発揮し
縦横無尽の活躍を見せた軍師

天高く、白く輝く大天守を備えた姫路城は、

右上/本丸への最終関門となる"にの門"。通路や門内で攻め手を多彩に攻撃できる櫓門だ
左下/十字紋が彫られた鬼瓦には、キリシタン大名だった官兵衛と関連付ける説がある
右下/大手門から大天守正面を見上げる。石垣と櫓がダイナミックに幾層にも連なる
1567年ごろ、官兵衛は家督を継ぎ、主君である
姫路城の大天守内には、外敵からの攻撃に備えた設備の一部が残る。

右上/石打棚と呼ばれる構造。高い位置にある窓から城外の敵を攻撃する
左下/武者隠し。隠れて身を潜め、城内に攻め入った敵を迎え撃つ
右下/城内の壁には槍や鉄砲を保管する武具掛けが多く見られる
官兵衛は、織田信長の家臣だった
官兵衛は、戦わずして勝つことを重視した。姫路城を毛利勢征伐の最適な拠点ととらえ、秀吉に譲渡した。
秀吉が姫路城にいたのは1580年から大阪城を築くまでの約3年だった。その間、姫路城に当時としては珍しい三重の天守を築いた。入城口近くに今も残る
1600年の関ケ原の戦いの後、姫路城の城主となった池田

崇敬する神に祈り
軍旗に勝利の願いを込める
姫路城の南西には
かつてこの地には、今の県庁に当たる播磨国


右/小規模な神社も境内に並ぶ。姫路城天守閣鎮座の長壁神社のご分霊を境内にまつる
播磨国総社は、播磨の総鎮守と姫路城の鎮護を担い、歴代の姫路城の城主から崇敬を集めた。官兵衛の父である
播磨国総社には、一ツ山大祭と三ツ山大祭と呼ばれる特別な行事がある。日本全国の
いずれの祭りでも、神門前に作った直径10m、高さ18mの巨大な

下/総社御門2階に展示される置山10分の1ひな型。国指定重要有形民俗文化財だ
黒田家のルーツを探ると、
かつて神社の周囲には、祈祷や参拝を世話する

右/神社近くに見られる御師屋敷の土塀跡
廣峯神社は、陰陽道に基づく独自の参拝方法でも知られる。拝殿で日ごろの感謝の気持ちを示した後、本殿の裏へと進む。

下左/本殿の裏には9つの穴がある。一白水星から九紫火星までの守護神がまつられる
下右/個人的な願い事を穴にささやいて祈願する

困窮した重隆は御師たちと相談し、黒田家秘伝の目薬を作った。御師たちが目薬を祈祷札と共に配り始めると、たちまち効能が評判となる。重隆は目薬で財を成した。廣峯神社の敷地内にもメグスリノキがあり、黒田家のルーツに思いを馳せる人は少なくないという。
2018年には、黒田官兵衛ゆかりの

官兵衛は信仰あつく、軍旗に勝利の願いを込めて、ゆかりの神社をいくつも参拝した。1586年に征伐の先鋒として九州入りした官兵衛は、九州平定を成し遂げる活躍を見せる。関ケ原の戦いでは徳川家康の東軍につき服従した。1604年に59歳で生涯を閉じるまで、主君に誠実に仕える知将の姿勢を貫いた。
ちょっと寄り道
播磨名物の穴子を多彩な料理で堪能
播磨灘沿岸地域で古くから親しまれる穴子料理の専門店。ランチで人気なのは、穴子を使った種類豊富な料理を少しずつ味わえる穴子づくし御膳。定番の天ぷら、刺身、焼き穴子、蒸し穴子、穴子飯の他、だし巻きや酢の物、山椒煮といった専門店ならではの多彩な穴子料理を堪能できる。
■あなご料理専門店
https://anago-hiiragi.com/

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