維新の立役者・坂本龍馬を訪ねて
高知[ 高知県 ]
- 坂本龍馬
- 桂浜
- はりまや橋
- 坂本龍馬記念館
- 田中良助旧邸
土佐藩士・坂本龍馬は倒幕の立役者として知られる。
傑物ぞろいの維新志士の中でも特異な存在だ。
時代の先を見通す先見性、グローバルな視点を持っていた。
生まれ育った高知をめぐり、龍馬が描いた未来図に思いをはせる。
若き日の龍馬はすでに
世界の中の日本を見ていた

桂浜公園東端に位置する高台、

桂浜公園の西端にある

坂本龍馬は1835年、高知城下の本町筋に5人兄弟の末っ子として生まれた。高知市内の坂本龍馬誕生地には石碑が立っている。商業の盛んな地だった。当時、豪商の

右上/龍馬誕生地には、坂本家の家紋をあしらったベンチが整備されている
下/架けられた当時の形で復元されたはりまや橋。はりまや橋・葉山庭園よさこい公園にある

坂本家は土佐藩の下級武士の家だった。当時、力のあった商家・
龍馬は14歳のころ、近くの
高知市内ではあちらこちらで、龍馬の像に出くわす。ほとんどが、誰もが見たことのある有名な龍馬の肖像写真と同じ姿だ。龍馬は右手を懐に入れ、遠くを見つめている。肖像写真は1860年代、日本に写真技術が入ってきた初期に長崎のスタジオで撮影された。
高知駅前の広場には、幕末の志士である

右/龍馬郵便局には全国から龍馬ファンが訪れる
坂本龍馬誕生地から徒歩2分ほどの場所には、龍馬郵便局がある。全国で唯一、実在した人物名の郵便局だ。建物前には龍馬像が鎮座する。待合室には記念切手をはじめとした龍馬関連グッズが展示され、ファンが訪れる観光名所となっている。
日本が進むべき道を
模索し続けた生涯
高知県立坂本龍馬記念館では、龍馬の人物像に迫る展示が充実している。龍馬が筆まめだったことから、多数の書簡資料が存在している。現在、全国でこれまでに約140点確認された龍馬の真筆書簡のうち、同館が14点を所蔵する。

右上/子どもが楽しみながら学べるユニークな展示もある
左下/龍馬が襲撃された近江屋の部屋も忠実に再現されている
右下/常設展示室には龍馬の手紙を中心とした貴重な資料が並ぶ

時には緊張感が伝わる剛健な筆致で、時にはリラックスした伸びやかな筆致でと、龍馬の文面は多彩な印象を見せる。通底するのは相手への気遣いが感じられる丁寧な表現だ。優しく気配りに長けた龍馬の息吹が感じられる。
龍馬は、特に仲が良かった3歳上の姉・
1863年、27歳の龍馬が乙女に宛てた手紙は、龍馬の信念が垣間見える一通だ。文中に龍馬の名言として知られる「日本を今一度せんたくいたし

右上/有名な「日本を今一度せんたくいたし申候」が中央に記される(複製)
左下/位の高い人物に向けた手紙では、龍馬が達筆であったと分かる
右下/龍馬が高杉晋作からもらったピストルの同型実物
高知市街から北山を目指し、車で30分ほど走った柴巻地区に田中

右/保存状態の良い部屋は往時の暮らしの雰囲気を今に伝える。内部公開は毎週金~日曜日
田中良助旧邸からさらに北山を登り、細い山道を100mほど歩くと、

龍馬は良助から2両の金を借りた。龍馬直筆の借用証文は、龍馬が土佐を脱藩する前年のものだ。龍馬が重罪だった脱藩を敢行して向かったのは江戸だった。米国への渡航経験をもつ
その後、龍馬は、長崎に商社である
大政奉還からわずか1カ月後、龍馬は暗殺された。脱藩から5年後だった。
脱藩前に八畳岩から見た雄大な景色は、龍馬の壮大な夢、より良い国づくりへの情熱をかき立てたに違いない。
ちょっと寄り道
土佐の味覚をまるごと料亭で
土佐の伝統的なお座敷文化を守り、
■料亭 濱長
高知県高知市唐人町6-6
https://www.k-hamacho.com/

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